奥三面を記録した人

2000年2月15日新潟日報夕刊に掲載したコラム【晴雨計】3回目




左「またぎの装束」/右は「丸木舟作り」 (撮影:中俣正義氏/昭和34年6月)
ご遺族のご厚意により使わせて頂きました。

「秘境・奥三面の里展」は特に市民の話題になることなく静かに開催された。この展示の目的には、水没する前に、四季折々の奥三面の暮らしぶりを記録しておこうという東北電力という企業の意図が働いていた。現物の展示としては、一本のトチの木をくりぬいて作った丸木舟、マタギの装束・山で使った道具や、暮らしに使っていた多くの民具をお借りして展示した。写真パネルについては新潟県写真家協会の会長をしていた中俣正義さんにお願いし、奥三面集落の冬の全景、石をくりぬいて作った石風呂で汗を流している父子のシーンなど、民俗的にも価値ある写真の数々を提供していただいた。中俣さんは、何回もこの集落に入って多くの素晴らしい写真をものにしている。中俣宅を訪問し、写真の提供をお願いしたさい、「この村は日本人の生活の原型が残っている現代の桃源郷です」と熱く語ってくれた言葉が忘れられない。会場のグリーンプラザにおいて、数々の企画展示をしてきたが、すべての展示で、中俣さんから写真を提供していただいている。これはすごいことだ。訪問のたびに仲俣さんから色々なエピソードを聞くのが楽しみの一つであった。
奥三面集落の記録に関して忘れてならない人に姫田忠義さんがいる。姫田さんは20年前に初めて奥三面を訪れ、高橋区長らの話を聞く。そして県に対して奥三面の記録作業を提案するが回答を得られず。翌年自ら小池キク宅を借り、「三面ハウス」と命名、スタッフと共に奥三面集落の記録作業を開始している。「その時、予算はゼロだった」と私は姫田さんから直に聞いたとき、言葉を失った。この人は肝がすわった本物の人だ、と直感。志の高さに触れ脱帽した。
私が集落に入った時、姫田さんという人が映画を撮っているという話を聞いてはいたが、直接お会いする機会がなかった。私がその会社を辞め転職してからも、この映画のことが気になっていた。ここ数年、何としても観たい欲求が高まっていた。昨年の9月に津川町での講演会で姫田さんとお会いすることができた。そして12月、「奥三面遺跡群報告会」で待望久しいこの映画、越後奥三面「山に生かされた日々」を観ることができた。



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