1940
1950
1960
1970
1980
1990
HOME




(C)奥三面集落の民家 illustration by MOON

どういう風のめぐり合わせか、文章を苦手としている私が地元新聞 新潟日報より、コラムの原稿の執筆依頼を受けるはめになり、2000年2月1日から毎週火曜日夕刊に掲載ということで、13回にわたりコラムを担当した。
第1回から8回まで、新潟県の北に位置する奥三面のことについて書いた。奥三面では、800億円を超える巨費を投じて、ダムの建設が進んでいた。長期間にわたって建設されてきた奥三面ダムは、この年の10月に完成を迎えようとしていた。ダムが完成すれば、奥三面はダムの湖底に沈むことになる。私は、奥三面に憑かれたような状態で、ある種の危機感をもちながら原稿を書いてきた。地質調査の過程で、奥三面からは膨大な遺跡が発掘されたのだ。後で命名された「奥三面遺跡群」という名称は、そのスケールの大きさを、如実に物語っている。私たちの祖先が暮らしていたこの遺跡群には、幾重にも皮肉が込められている。縄文時代、この秘境・奥三面は「東日本の一つの拠点だった」ということも明らかになってきた。それが事実であれば、現代人の想像を、はるかに超える大発見ということになるのだが…。
私は、この日本人の貴重な遺産が、むざむざとダムに沈んでしまうことに対して、これでいいのか? という疑問を投げかけたかった。
まず、この事実を知らない県民の皆さんに対して、事実を知ってもらいたい、との思いを込めて、8回連続して奥三面について書いた。しかし、残念ながら、さしたる手応えを得られなかった。ダム建設に対する反対運動はあったが、議会の決定事項を覆すほどのムーブメントを起こすに至らず。
かくして、発掘された19にも及ぶ集落跡には、2000年 10月2日から湛水が始まった。
「奥三面遺跡群」は何事もなかったかのように、今は静かに湖底に眠っている。なぜここに、ダムを造らなければならなかったのか、という疑問が未だに、私の中に消えることなく残っている。
9回目以降は、つれづれなるままに、感じていることを書いてみた。



目 次
 



inserted by FC2 system