映画の時代 -41-




●サスペンスの極地「恐怖の報酬」

「恐怖の報酬」という映画を観たのは私が中学生の時だった。高校生の兄貴と一緒に豊来館で見た。 こんなにも怖い映画を観たのは後にも先にもない。 最初は退屈な映画だな、と思ってみていたが、次第次第に映画の世界に飲み込まれていく。 手に汗にぎる、とはこういう映画を観ている時のことだと思う。 主演したイヴ・モンタンが、「枯葉」を歌っているシャンソン歌手だということを後になって知った。 それほどイヴ・モンタンがこの役にはまっていた,というべきなんだろう。 映画が終わっても溢れてくる涙を、 隣の席にいる兄貴に気づかれないようにするのに苦労した記憶がある。

中米の油田で発生した大火災を消化するため、ニトログリセリンをトラックで運ぶ四人の男が雇われる。 男達に与えられる二千ドルずつの報酬は、危険物をトラックで運ぶという、 死と隣り合わせの恐怖への対価である。
いつ爆発するかわからないニトログリセリンを積んでドライブするというアイデアは、 映画史上最高の恐怖を生み出した。一度観れば二度と脳裏を離れることがない重量感のあるサスペンスの極致は映画ならではの醍醐味。
物語は、一瞬たりとも目が離せない堂々たる構成のドラマである。

舞台は中米の田舎町。うだるような暑さのこの町がじっくりと描写される。 酒場のルンペン マリオ(イヴ・モンタン)。 パリの顔役らしき男で流れ者のジョー(シャルル・ヴァネル)。他の二人を加えた四人がトラックに乗り込むことになる。 マリオは、経験豊富で大物風情のジョーを慕っている。が、これは平場の人間関係。修羅場に直面する出発以降、 この人間関係はもろくも崩れ去ることとなる。石油会社の所長が、運転手の応募者を前に、ニトログリセリンの一滴を床にたらしてみせる。たった一滴なのに、凄まじい爆発音。 これを山ほどトラックに積んでいくのである。一体、爆発したらどうなるのか。観る者に恐るべき想像が植え付けられる。
これでもかと際限なくたたみかける見せ場の連続が続く。

極限状態での人間関係が残酷なほどに生々しく描写されている。積もり重なる恐怖におののき、 臆病な卑怯者に成り下がったジョー。若さと執念で目の前の困難を一つ一つ突破していくマリオ。 すっかりマリオに見下された無様なジョー。前半で構築されていた人間序列は、あっさりと覆される。 人間ドラマの深みを感じさせるとともに、人格をもゆがめてしまう異様な恐怖がじわじわと説得力を帯びてくるのである。

目的地に到着後。結局、恐怖に耐え、生きて油田にたどり着いたのは、マリオただ一人。二人分の報酬を得て、 意気揚々と恋人の待つ町への帰途につく。トラックのラジオから流れる「美しき青きドナウ」。ワルツに合わせて、 踊るように蛇行運転をするマリオ。恋人もラジオで同じワルツを聴いて、踊っている。幸せそうな二人のカットバックが続く。 やがて、画面はユラユラと斜の度合いを強めていく。断崖が迫ってくる。次の瞬間、 トラックは真っ逆さまに奈落の底へ墜落していく。身の毛もよだつ視覚的インパクトで見せる凄絶なラスト。 木っ端みじんに砕け散ったトラック。やがて訪れる死の沈黙。 マリオの手には、いつの日かパリに帰郷することを夢見て大事にしていたメトロのチケットがしっかりと握りしめられている。 想像を絶する形で緊張から解放された虚脱感が体を襲う。



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