映画の時代 -39-




●映画・栄枯盛衰の歩み

20世紀は映画館の歴史でもあります。 いくつもの映画館が生まれ、そして時代とともに消えていきました。 だれにでも記憶に残る映画館はあると思います。昔見た作品に再会したら、思い出しませんか。 あの場所、あの時代、あの匂い、隣にいた人のこと。 それは暗闇の中で大勢の人が、光が創り出す“夢”を見る。そんな特別な体験のせいだからではないでしょうか。 映画館は「記憶装置」なのです。 20世紀の終わり、新潟市では19年間続いた映画館が幕を閉じました。 その一方で、シネマコンプレックスという21世紀を予感させる映画館が生まれました。 もう一度、振り返ってみませんか。

日本には映画の黄金時代というものが確かにあった。それはいつなんだろう。 自分の感覚では理解できているつもりだが、何か客観的なデータはないものだろうか。そんな思いを持ちながら、 インターネットをさまよっていたら「にいがた20世紀映画館」というホームページに出会うことができた。 私のホームページ「20世紀の館」に、タイトルがきわめて似ているうえ、コンセプトも共感できるものがある。 そのホームページに「にいがた映画館史」というサイトがあり、新潟市における映画館の変遷が かなり詳しく掲載されていた。冒頭の文章は、そのページの紹介文である。 データは新潟日報という地方新聞の映画欄から収集したと記載されていた。
残念ながら1960年以前のデータは、ただいま調査中ということだった。 全国の映画館数の推移がわかれば面白いと思うが、 全国の映画館のデータをまとめるとなるとチョット難しい。
しかし、新潟は一地方都市ではあるが、新潟市を一つのモデルケースとして見ていただければ、 全国の映画館の栄枯盛衰を類推することはできる。映画館の数の増減の推移は、マクロ的に見れば、 そのまま、日本の映画界全体の盛衰をも表している。とみるのは無理があるだろうか。

このデータによれば、1960年がピークで、新潟市には25館の映画館があった。1964年の東京オリンピックの年を境として、 映画館が激減していることがよくわかる。私の映画看板修行時代は、まだまだ映画界は活気があって華やかな時代だった、 ということも読み取れる。 日本映画の黄金時代は1950年代だった、ということもこのデータからうかがい知ることができる。
東京オリンピックの年から、 閉館に追い込まれていく映画館がその数を増していく。 1995年には、なんとピーク時の半分の12館に落ち込んでしまう。この状態が4年続くことになるのだ。
1999年になると様相が一変する。 新潟市内にもシネコン誕生! 近江のデッキイ内に、ユナイテッドシネマがオープンし一挙に8館増える。
さらに、2000年には閉館した3つの映画館に代わって、新潟サティ3階に出来たワーナーマイカルの9館が加わり、 一挙に26館に急増する。
9館といっても、同じ建物に9つのスクリーンがあるという形の映画館で、いわゆる シネマ・コンプレックスである。いままでに日本になかったアメリカ型の映画館の登場である。 この傾向は全国的な傾向と思われる。

車社会に対応して、多くの人々が買い物にくる郊外型大型量販店に併設する形で造られている。 広い駐車場、大きくゆったりとした椅子、どういうわけかポップコーンを食べながら 映画を見ることを推奨しているかのようだ。
まさに映画のデパートのようである。 とにかく、そこに行けばいろいろな映画を上映していて、好きな映画を選んで見ることができる。 全国的に、このシネコンが展開していけば、20世紀型とも言うべき、 従来の映画館は自然淘汰されていくことになるだろう。 映画館数だけを見れば確かにここ数年急増したが、日本映画が息を吹き返した、 というわけではない、上映される映画はアメリカ映画が圧倒的に多い。たまに日本映画が上映されている、と思ったら アニメーション映画だったりする。今の日本の映画界はあまりにも元気がなさ過ぎる。 日本の映画界は残念ながらアメリカ映画に席捲されている。 「蘇れ!日本映画」「元気出せ!巷の文化よ」と叫ばざるにいられない。

西暦
館数
新潟市の映画館
1960
25
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1961
22
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1962
23
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1963
24
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1964
24
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1965
21
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1966
19
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1967
18
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
1968
14
●●●●●●●●●●●●●●
1969
17
●●●●●●●●●●●●●●●●●
1970
17
●●●●●●●●●●●●●●●●●
1971
16
●●●●●●●●●●●●●●●●
1972
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1973
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1974
13
●●●●●●●●●●●●●
1975
13
●●●●●●●●●●●●●
1976
13
●●●●●●●●●●●●●
1977
14
●●●●●●●●●●●●●●
1978
14
●●●●●●●●●●●●●●
1979
13
●●●●●●●●●●●●●
1980
13
●●●●●●●●●●●●●
1981
14
●●●●●●●●●●●●●●
1982
14
●●●●●●●●●●●●●●
1983
13
●●●●●●●●●●●●●
1984
14
●●●●●●●●●●●●●●
1985
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1986
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1987
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1988
14
●●●●●●●●●●●●●●
1989
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1990
15
●●●●●●●●●●●●●●●
1991
14
●●●●●●●●●●●●●●
1992
14
●●●●●●●●●●●●●●
1993
14
●●●●●●●●●●●●●●
1994
13
●●●●●●●●●●●●●
1995
12
●●●●●●●●●●●●
1996
12
●●●●●●●●●●●●
1997
12
●●●●●●●●●●●●
1998
12
●●●●●●●●●●●●
1999
20
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2000
26
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
2001
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●


MENU HOME NEXT


inserted by FC2 system