映画の時代 -31-




歌舞伎町のクラブ・リーから回収した看板と戯れる面々。
シャンソン歌手イベット・ジローの顔に切り抜き。
右側が看板の工場、左側には連れ込み旅館が並んでいた。


●屋根の上の懲りない面々

歌舞伎町の地名は1945年、戦争が終わってから、この地に歌舞伎を行える劇場を 開設しようとしたところから始まったとされている。 歌舞伎劇場計画は、 その後頓挫してしまったが、 歌舞伎町の地名だけが残った。 歌舞伎町は台湾人が作った、という話は最近になって知ることができた。
マッサージ店、料理店、クラブ・・・。 戦後、新宿は靖国通りより新宿駅側は闇市マーケットとして栄え、  テキ屋一家の尾津組が支配していた、ということである。
新宿・歌舞伎町=風俗の街。  こうした図式が定着したのはいつの頃からか? 江戸から明治にかけて、 宿場町として栄えた内藤新宿には食事の世話からセックスの世話まで一切を賄う「飯盛り女」がいた。  その後、現在の新宿2丁目付近に遊郭が林立するようになったのは、この飯盛り女の名残からだ。  戦後も遊郭は「赤線」として生き残った。
「赤線」は売春を目的とする特殊飲食店の集まっておた地域を、  警察の地図に赤い線で表示していたことからこの名がある。
一方、焼け跡の新宿4丁目で簡易旅館が次々と営業を開始した。
「青線」は赤線地帯の周辺で営業許可なしに売春行為を行わせた飲食店街、連れ込み宿も入る、これも警察の地図に青い線 で表示されたことからきている。 だがこれらも、1958年に施行された売春防止法により一掃されることになり、「赤線」の灯が消えた。

さて、私が住み込みで働いていた映画の看板屋は歌舞伎町にあって、当時周辺は、連れ込み旅館がびっしりと ひしめき合っていた。
ここも「青線地帯」と言われていた地域である。看板屋の制作室は天井が高く、2階が吹き抜けになっていたが、   一部2階で作業するスペースがあった。 そこは絵描きさんが絵を描く作画室である。作画室の階段をさらに上がると、暗室があり、 ここは写真を拡大して紙に当たりをとる作業(下書き)をする場所だ。ここを突き抜けたところに業務部の若い者たちの 寮があった。一つの部屋で4人が寝泊りできる部屋が4部屋あった。寮生活に入ったばかりの頃、 よくダニに刺された。刺されると猛烈な痒さに襲われる。痒さは二週間くらい続く。  不思議なもので、 長くいる人は刺されない。 刺されるのは決まって新人なのだ。 ダニというヤツは血を吸うにも選り好みをするようだ。当時  エアコンなどというしゃれたものがなかったので、 真夏のうだるような猛暑になると寝苦しい夜が続く。

そんな寝苦しい真夏の夜のことだった。一日の仕事が終わり寮のベッドでくつろいでいると、  部屋の窓から外を見ていた業務部のU君が興奮して「見える、見えるぞ!」とみんなに声をかけた。 部屋の仲間たちは誘われるまま窓から外を見る。「見える」と言われれば大概想像はつく。 道を隔てて連れ込み旅館だ。U君は旅館の2階の部屋の窓を見ていたのだ。 U君の声で寮の部屋は一瞬張り詰めた空気に急変し、みんな部屋のその窓に殺到。騒ぎを 聞きつけてほかの部屋の者までやってきた。寮の窓は一つだけである。総勢7〜8人の若い者が、その一つの窓に群がる。  部屋の窓から工場の屋根へは簡単に出られるようになっている。  あまりの窮屈な状態に耐え兼ねて、まずU君が窓から出て屋根に乗り移った。 U君に続いて、次から次へと屋根に乗り移る。私もその中にいた。みんな屋根の上に這いつくばっている。  外の風が心地よい。   なんと、目の前に男と女が激しく絡み合う愛の営みが、くっきりと見えるではないか。

情交シーンを繰り広げている方々も、よほど暑かったとみえ、窓を開けたままことに及んだようだ。 しかも部屋の照明をつけたまま、仕切りはスダレ一枚である。大胆といえば大胆。 歌舞伎町といえどもこんなシーンは めったに見られるものではない。スダレは想像力をかきたてる紗幕の効果を果たし、 若者たちの脳は攪拌され、完全に悩殺されてしまった。
看板屋の工場の屋根に鈴なりになっている若者たち。全員の視線はある窓に集中している。 血気盛んな若者たちの目はさぞやギラギラと輝いていたことだろう。まさに異様な光景である。 この時のシーンを思い出すと、今でもナゼか笑いがこみ上げてくる。 結構な時間、生唾を飲むような時間が流れていった。みんな極力声を出さないように男と女の 営みを見ていたのだが、 そのうち、屋根に群がっているこちら側の存在が察知されてしまったのか、 女の体から離れ、男がこちら側にいぶかしそうな視線を向けてきた。と思った瞬間、 窓がピシャッと閉められてしまった。  これでスリル満点・集団のぞきショーが終了となった。 遠い昔の、くそ暑かった真夏の夜のめくるめく出来事である。


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