映画の時代 -32-





●愛すべき一匹狼たち

歌舞伎町の映画の看板屋には、北海道・新潟・千葉・名古屋・広島・九州・沖縄といった 各地から、映画が三度の飯より好きな人たちが集まっていた。 映画好き”は共通項だが、十把一絡げに出来ない個性の強い面々がいた。 印象に残っている人たちをここで紹介してみることにしよう。

まず、業務部の先輩である石川さん(以降登場人物はすべて仮名)は、後輩には優しかったが、どこかに寂しい蔭がある 先輩だった。石川さんは、私が入って1ヶ月ほどで会社を辞めて、寮から出て行っしまうことになる。
石川さんは、ジェームス・ディーンが好きだった。その好きの度合いが並外れていた。 ジェームス・ディーンは、わずか3本のアメリカ映画に出演しただけで、世界の若者のアイドルになった。 若くして交通事故で亡くなったことが人気に拍車をかけ、伝説のヒーローとなった。赤木圭一郎や ブルース・リーもその系列に入るヒーローということになるのだろう。
石川さんは、実物の1.5倍もあるジェームス・ディーンの顔を油粘土で作り、 寮の自分の部屋に置いて同居していた。 部屋のスペースを考えれば、これは驚異的なことだ。 なにしろ、寮においは一人の部屋のスペースはわずか畳1枚半しかないのだ。 石川さんの部屋は木造の2段ベットの上の段、 畳一枚の寝場所と、その半分の荷物置き場のスペースがあるのみである。 ベッドの壁や天井にもジェームス・ディーンを描いた絵がびっしりと貼ってあった。 人間は好きな人に似るのだろうか。世をすねたような目や、しぐさまでジェームス・ディーンに似ていた。 石川さんは寮を出て行ってしまったが、ジェームス・ディーンの立体像を大事そうに両手で抱え、 階段を降りて行く時の、石川さんの寂しそうな顔が忘れられない。

同じく業務部に神野くんがいた。彼の実家は東京で、親父がペンキ屋をしていた。 顔は丸顔で、体がでかくすべてのパーツが太くて逞しい。態度もでかかった。 神野くんは、歳が若いにもかかわらず、先輩を先輩とも思わない 剛毅な性格の持ち主だった。やくざ映画と坂本竜馬が好きで、釣りや浪曲を聞くのも好きだった。 彼は酒が強く、飲みっぷりは豪快そのもの。底なし沼のように飲む。一緒に飲みにいっても、酒が弱い私は、 とても彼のペースにはついていけない。 上司に、堂々と文句を言う。文句はいうがやることはやる。そんな神野くんを、時にうらやましく思ったものだ。 親分肌の素質があり、業務部のリーダー的存在になっていく。私の良きライバルだった。

作画部の若手に尾高さんがいた。仕事が終わって、シーンと静まりかえった制作室に 尾高さんがつまびくメロディーが時より響いてくる。尾高さんが演奏する曲は、いつも 映画音楽だった。映画音楽は当時のヒットチャートの上位を占める時代が続いていた。 中でも「鉄道員」や「禁じられた遊び」のギター音楽は高い人気があり、尾高さんの十八番でもあった。 尾高さんの奏でるギターの音色は、聞く人の心に響いてくる。 私は尾高さんから初めてギターを教わった。他にも尾高さんから学んだものはいっぱいあった。 太宰 治が好きな文学青年でもあった尾高さんは、文学や映画については一家言もっていて、 自分でも小説を書いていた。酔い越しの金は持たない、という無頼な彼の生き方に、 どこか惹きつけられていた。よく飲みに連れて行ってもらったが 飲み始めるととことん飲む。つぶれるまで飲む。中途半端が嫌いな人だった。

制作部に大川さんがいた。大川さんは、性格はおだやかで、 いつもユーモアを忘れず、笑顔で私たち後輩たちに接してくれた。 彼が怒ったところを私は見たことがない。大川さんは物知りで、 特に映画については、非常に詳しかった。 新宿にアートシアターという映画館があった。大衆娯楽とは縁遠い芸術色の濃い映画をいつも上映していた。 大川さんは、この映画館の常連でもあった。スウェーデン映画で「野いちご」という 映画が上映されたとき、映画評論の募集があった。大川さんはこれに応募して 見事、優秀賞を勝ち取ったことがある。私は映画通という点で大川さんに一目おいていたが、 大川さんの映画の見方の鋭さに驚嘆したことがある。 ある日、その当時映画館で上映していた西部劇「捜索者」という映画について、 何気なく大川さんが私に語ってくれた。 それは、私にとって意外な発見であり、大川さんが只者でないことを感じさせてくれた。
この話は、次回に回すことにしよう。


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