映画の時代 -49-



●看板職人はどこへ行く

看板業界に、いわゆる技術革新の大きな波が訪れる。何時の頃からだろう。まず、カッティング・マシンというものが登場してきた。”文字を切り抜く機械”とでも言えば良いのだろうか。裏面にのりが施されている、カッティングシートを使って、パソコンから出力した文字の形を切り抜く、という技術が開発された。切り抜いた文字を、看板の面に貼り付けることで、すっきりとした、ムラのない文字が施されるのである。絵の具や筆を使って、文字を描く必要がない。職人的な技能などがなくても、きれいな文字を看板に施すことができる技術が開発された。この方法は全国の看板屋さんに、またたく間に普及していった。
カッティング・マシンは文字だけの処理だったが、さらに技術が急激に進化していった。最近は絵や写真入りの看板も、パソコンと大型のプリンターを使って、短時間で出力できる技術が開発されたのである。プリントで出力したシートを、看板の板面に貼れば出来上がりということになる。シートの素材も進化していった。耐久性・耐光性に優れ、しかも、貼り付ける相手が湾曲した面でも、表面が凸凹している壁面にも、貼ることができる素材が開発された。今や、野立て看板、ビルの壁面、バスのボディ、映画看板のほか、あらゆるディスプレイに使われるようになった。

ちょっと話は飛躍するようだが、大資本による、大手のショッピングセンターや量販店などが、全国展開し、地方都市に進出していった。
郊外型の大型店舗が国道にそって形成され、新潟県内をドライブしていても、その変化の過程を各地方で垣間見ることができる。見慣れた量販店などの大型看板が、どこの地方に行っても見られるようになった。これらの大型店舗が地方の町や村を活性化させてきただろうか、いや、実態は地元の商店を衰退させ、廃業に追い込まれていった商店も少なくない。さらに、国道沿いの町や村の景観が、画一的になってきたことも、否定できない事実である。その結果、地方都市独特な匂いというか、地方色のような個性が、失われてきているように思えてならない。
地方に旅に行って、その地方の人と出会えるのは旅の楽しみである。
また、私にとって、その地方独特な看板に出会えるのも、旅の楽しみの一つだった。看板の技術的な上手さを超えた、ユーモアや味のある看板に出会うと、なぜかほっとする。町や村で見る看板は、まさに「巷の文化」そのものではないだろうか、と私は勝手に思っている。山沿いの町や村、海沿いの港町… 地方には、その地方らしさがあった方が良い。近年、その「らしさ」がどんどんなくなってきた。全国どこへ行っても、同じような景観になってきているのは、旅の楽しみを奪われたようで、なんとも寂しい。

話を元にもどそう。カッティング・マシンや大型プリンターなどの、コンピュータ機器が登場してから、全国にそのテクノロジーが普及していった。全国一律にどこへいっても、きれいな看板になってきた。
そもそも、私は手描きの看板を見るのが、昔から好きだった。看板に描かれている情報のほかに、そこには看板職人の技術とか、思い入れ、といったものまで、読み取ることができた。残念なことに、今は、手描き看板そのものが、極端に少なくなってしまった。業界においては、絵描きや、文字描きといった、職人を必要とされなくなり、看板職人の居場所が奪われていった。看板の製作のプロセスそのものが、がらりと変化してしまった、と言ってもいいだろう。いっぱしの職人になるためには、下積みの修行が必要だったが、その職人の世界が音を立てて崩れていくようだ。看板屋の経営者は、職人を雇うよりも、コンピュータを使える人を雇うようになっていく。
映画看板の業界では、著しいテクノロジーの進出により、伝統の技、匠の技が継承が絶たれようとしているのだ。

この傾向は、なにも映画看板というせまい領域にとどまらない。もの作りの職人の仕事の分野は、コンピュータに、とって変わられてしまったかのようだ。今は看板などのの平面的な製品は言うに及ばず、成型金型や立体模型など、立体製品までコンピュータが、職人の仕事を奪うかのように、進出している。これも、時代の流れというものなのか。人間の手による手作業、手作りという、もの作りにこだわる職人が、その仕事を奪われ、結果的に、職人の技の継承が途絶えてしまうことを考えると、何ともやりきれない気分に襲われてしまう。



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