映画の時代 -46-



●崩壊していく徒弟制度

これまで泥絵の具を使って一枚の映画看板が完成するまでを書いてきた。毎週映画が代わるので、毎週描く看板が違う。結構、職人の仕事は忙しかったが、映画好きな面々である。毎日が変化があり充実感があった。
この会社では、絵描きグループの作画部、文字描きグループの製作部、さらに、先輩の職人の仕事をサポートしながら働く見習いグループの業務部の役割分担が、明確に決められていた。このシステムが、当時はしっかりと機能していたように思う。

私は見習いとして映画看板の会社に入社し、3ヶ月間、絵の具練りの仕事を担当させられた。先輩の職人たちが使う絵の具を、すり鉢で練って供給する大事な仕事である。その仕事の合間に、絵描きさんの仕事の現場を、よく見学させてもらった。当時、スチール写真は白黒の写真だった。この白黒の写真を見ながら、鮮やかな色彩で、カラーで描いていく絵描きさんの仕事ぶりを驚嘆しながら見ていた記憶がある。 この会社の絵描きさんが描く絵は一流た、と今でも思っている。文字を描く職人の仕事ぶりもよく見ていた。見事な手さばきを見ているだけで感動した。早くこの人たちのように、絵や文字を描けるようになりたい、という思いを抱きながら見ていた。
私は子供の頃から、職人の仕事を見るのが好きだった。「見学」は見て学ぶと書く。「見習い」は見て習うと書く。「見習い」というのは、ある技術・技能を次の世代が習い継承していく大切な修行の期間である。しかし、残念なことにこの「見習い」という言葉自体が、死語になってきていると思うのは、私だけだろうか。

看板業界だけのことではない。日本には、あらゆるもの作りの現場において、新しくその職業について働きたい、という新人の登竜門として、「見習い」という期間があった。この「見習い」という言葉は、日本の「徒弟制度」からきた言葉なのだろう。「徒弟制度」というと、どこか封建的なイメージがつきまとうようで、今では使われなくなった。
しかし、考えてみれば、資源が乏しい日本の戦後の経済を支え、日本が世界に冠たる技術立国になり得たのは、日本人の勤勉さと、技術に対するあくなき探求心だった、のではないだろうか。その中に、今では古臭いと思われている、「徒弟制度」というシステムがあったことを見逃してはならない、と私は思う。「徒弟制度」の崩壊が、日本の社会のパワーダウンの原因だ、というと極論になるかも知れないが、私には、その足取りが、同じ軌跡をたどっている、という気がしてならない。今は「見習い」という言葉に代わって「研修制度」「研修期間」という言葉が使われている。募集広告を出す場合、「見習い募集」では、若者が集まらないのだろう。

日本画の世界にも徒弟制度があった。日本の映画看板の技法は、日本画の技法にその源流をみることができる。泥絵の具そのものが顔料であり、日本画で使う画材に他ならない。胡粉(ゴフン))・群青(グンジョウ)・新橋(シンバシ)・紅柄(ベンガラ)・洋朱(ヨウシュ)という色名は、日本画で使われている顔料の呼び名であるが、映画看板でもそのままの呼び名を使っていた。映画看板では泥絵の具と絶妙の関係にある膠の調整が、確かにやっかいであり難しい。ところで、日本画は、美術品、芸術という位置を確立している。高名な日本画家は社会的にも高い評価を得ている。
作品のお値段も、庶民には手が届かないほど高価な値が付けられる。映画の看板の絵の場合は、どんなに上手く描けた絵であっても、1週間か2週間もすれば、剥がされ、その上に新しい模造紙が貼られ、役割が終わった絵は消えてしまうことになる。まして、絵描きさんの名前が注目されることはまずない。これは、映画の宣伝・広告として使われる映画看板の宿命といっても良いのだろう。
ドイツやイタリアには「マイスター制度」というものが確立しており、職人は社会的にも尊敬の対象となっている。韓国では技能オリンピックの優勝者に、国から報奨金を出している。さらには、死ぬまで年金を支給していると聞く。残念ながら、日本では「職人」の社会的地位が確立しているとは言えない。優れた技能を持っている名工たちは、どんどん高齢化しいる。私には「徒弟制度」そのものが崩壊の危機に直面している、と思えてならない。

(注)マイスター(Meister)とはドイツ語で,親方,大家,名人などの意味。


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