映画の時代 -43-



●映画看板ができるまで

「ウエストサイド物語」は約1年4ヶ月のロングランを記録した。ロングランで上映される映画の看板は、 白トタン(亜鉛鉄板)を打ち付けた看板に、耐久性のある油性のペンキで描く、という話は前にも書いた。 長期間にわたって、雨や風にさらされるので泥絵の具ではもたないのだ。
大型の看板の場合は、白のケント紙で十分の一の縮尺原稿を起こす。多くの絵描き、 文字描きの職人はその縮尺原稿に従って仕事をする。どんなに大きい看板でも縮尺原稿があるので、 ブロック毎に分担して大勢の手で作業を進めることができる。

さて、レギュラーの映画の場合は、通常、一週間単位で次の映画に切り替わる。 標準の看板のサイズは畳1枚と同じ大きさの、ベニヤ1枚の大きさだ。 このサイズを「さぶろく」と言っていた。3尺×6尺(91cm×182cm)からきている。 もちろん規格外の看板もあったが、いわゆる「さぶろく」が一番材料の無駄がでないサイズなのだ。 垂木を使って木枠をつくり、その上にベニヤ板を釘で打ち付け、ベニヤ板の表面に模造紙をのりで貼る。 これが標準的な看板の形である。この模造紙の上に泥絵の具を使って映画看板を描くことになる。 紙貼りの作業は業務部の若手見習いの仕事である。
映画の看板の主な素材としては、木・紙・絵の具・のり・そして膠(にかわ)である。 この素材を使って、素晴らしい作品を生み出していくのは、熟練した職人の卓越した技である。
会社は、これら素材を常に大量に仕入れておかなければならない。 中でも紙の消費は激しかった。看板の下地として使う紙は、 B1サイズ(73cm×103cm)の模造紙である。スターの絵を描く場合でも、 薄くて白い紙であるこの模造紙を使っていた。
レギュラーの映画の看板は、縮尺原稿は起こさない。 それぞれの看板の板面のデザインは、担当する製作部の職人の感覚にまかされていた。

何回も何回も使われてきた看板は、その度に剥がしては紙を貼りを繰り返しているので、 板面がぼこぼこ状態になっているものや、看板そのものが反り返っているものもある。 あまりにも傷みが激しいものは作り変えることになるが、傷みの程度が軽いものは修理して使っていた。
一つの映画館で看板が一枚だけ、というのは皆無といって良い。通常、映画館の顔ともなる軒上看板、 遠くで歩いている歩行者からも良く見える突き出し看板がある。 そしてチケットを買う場所である入り口前看板、さらに場内の予告看板……と、数箇所にわたって何枚もの看板があるのが普通だった。 映画館によっては劇場から離れた駅前や、ビルの屋上看板などがある場合もある。 それらの看板を、一週間の単位で一斉に切り替えるのだから、仕事の量も実に多くきつかった。

歌舞伎町の地球会館というビルの中に、新宿座と地球座という映画館があった。 二つの映画館は3本立ての映画館だ。 入り口前のビルの壁面には、この二つの映画館の看板の額縁が2体が設置されていた。 新宿座の看板は「さぶろく」の看板が4枚セットで、一つの額縁に収まっていた。 従って、看板の大きさは幅2間、高さ1間(3m60cm×1m80cm)の看板ということになる。 3本立ての映画館の看板は 必然的に文字がいっぱい入ることになる。文字そのものの上手、下手は確かにある。しかし、一枚一枚の看板の 構図、文字と絵のバランス、空間の処理…レイアウトの良し悪しが、作品の出来栄えを決定するといっても良いだろう。

映画のタイトルの書体は、それぞれの映画の情景や物語を感じさせるような書体がデザインされている。 ポスターやパンフレットに印刷してあるタイトルの書体を見ながら拡大して描く。 キャスト、スタッフ、キャッチフレーズなどの文字の書体は、通常は明朝かゴシックだった。 どの書体を使うか、レイアウトをどうするかは個々の職人のセンスがものを言う。 職人にとっては腕の見せ所だ。文字描き、絵描きとも、映画館ごとに担当する職人が決まっていた。 製作担当者は映画の宣伝材料(略して宣材といった)である、ポスター、パンフレット、スチール写真などをもとに、 看板ごとにレイアウトを決めてていく。 主演スターの顔のサイズを決めて作画部に発注する。絵が入らない文字だけの看板もあるので、絵が出来上がるまで、 製作部の担当の職人は、絵が入らない看板の製作から手がけていくことになる。


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