映画の時代 -4-



「シェーン」1953年 アラン・ラッド主演
雪村いづみが唄った主題歌「遥かなる山の呼び声」がヒットする。

●SP盤 レコード

映画館にはBGMがつきものだった。映画館から 流行の音楽が流れてくると、道行く人もついつい映画館に誘われる。いわゆる景気付けと客寄せの ために、BGMは昔から映画館には欠かせないツールだった。無声映画の頃から 映画を上映する前後にBGMである音楽を流していた。私は記憶にないが活弁といって、 弁士という人が、スクリーンの脇に立って、セリフを語る時代から、客寄せのために レコードが使われていたそうだ。
私が子供の頃、豊来館でも音楽を流していた。その音楽は歌謡曲かジャズが多かった。 美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみが3人娘として売り出し中の時代だ。 雪村いづみが歌った「遥かなる山の呼び声」は、西部劇「シェーン」の主題歌として日本語で 歌ってヒットした曲だ。アラン・ラッド主演の映画のシーンと共に、 鮮明に記憶している。あの曲が流れてくると映画のシーンと同時に、当時のことが脳裏に浮かんでくる。

SP盤のレコードを回すのはゼンマイ仕掛けの蓄音機。やがて、モーターでレコードを回す電気蓄音機 、すなわち電蓄が登場する。 その信号を拡大するのは真空管を使ったアンプだ。 音を発生する拡声器のことを、当時スピーカーとは言わずラッパと言った。 SPレコードは7〜8回かけると、鉄の針が擦り減って音質が割れてひどい音になる。 そこで新しい針と頻繁に交換しなければならない。 蓄音機から、うっかり人が離れていると、音楽が終わったあと、同じとところをピックアップがエンドレスで 回ってしまうので、レコードとレコード針が磨耗させてしまうことになる。

今はCDやMDの時代だ。誰でもスイッチポンでいとも簡単に音質の良い音を流すことが出来る。 レコードをかける時のように、音楽が終わるまで人が待機している必要もない。
この50年間における音響機器の発達はまさに隔世の感がある。 SP盤のレコードというシロモノは直径30cmもある大きい皿のような円盤である。しかし、 回転が速いので(確か1分で78回転)一曲かけると3〜4分ですぐ終わってしまうのだ。 レコード針の摩耗も早い。だから、映画館でBGMとしてレコードを回すにも、 蓄音機には必ず人がついていなければいけない。 レコード回し係りだ。ここに子供の出番があった。
余談ではあるが、客寄せのために擦り切れるほど使われてきた、古いレコードがわが家に山ほどあった。 私が小学生のころ、その古いレコードを持ち出して、広い原っぱに行き友達と 円盤のように飛ばして遊んだ思い出がある。そう、今の時代のフリスビーのように結構よく飛んだ。 両親共仕事で忙しく、子供に目が届かなかったのをいいことに、子供時代とはいえ、 随分ともったいない遊びをしていたものだ。もっとも、古いレコードばっかりだったので、 中には磨り減ってレコード盤の中身のボール紙が表に出ているようなレコードもあったのだ。 山ほどあったあのSP盤レコードは今いずこ。

映画館の映写室はコンクリートに囲まれていた、映写室には2台の大きな映写機がデーンと据えてあり、 室内は独特の匂いと熱、光と音が交錯する密室だ。そこは子供の私にとっては魅力的な場所だった。
私の小学生そして中学生時代は、学校が退けると勉強せず、豊来館に入り浸っていた。 チャップリンの無声映画から映画はよく見たものだ。腹を抱えて笑えた。アラカンの名で親しまれた 剣豪役者、嵐寛寿郎主演の時代劇「鞍馬天狗」が、当時の子供に抜群に人気があった時代である。

さて、映写室に映写機が2台あるが、なぜ2台も必要なのだろう。 映画を上映する時は、まず、1台の映写機からフィルム1巻目を映写する。 15分もするとそのフィルムが終わってしまう。2巻目のフィルムを予めもう一台の映写機にセットしておき 1巻目が終わると同時に、2台目の映写機に切り替えなければならない。すなわち、 2台の映写機を交代で使って映写する必要から、2台の映写機が必要なのである。 映写機から他の映写機に切り替える時、二人で息を合わせないと失敗する。 スムースな切り替えが映写技師の腕の見せ所といっても良い。映写が終わったら、その都度 そのフィルムを巻戻し機を使って巻戻し、もとのアルミのケースに収める。 フィルムを巻き戻す作業は、まだ子供だった私にも手伝うことができた。 手伝っていくうちに、次第に技師としていろいろな技術も身につけていった。 そして自然に映写技師の片腕として、手伝いも出来るようになっていった。


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