映画の時代 -36-



●作画部か製作部か

社内コンテストで奨励賞をもらってからは、私に対する周囲のあたりが違ってきた。特に作画部の先輩は 私によく声をかけてくれるようになった。 私自身は作画部に行くべきか、製作部に行くべきか迷っていた。この迷いは最後まで続くことになる。

作画部にはきちんとした序列があった。 一番下の新入りはスターの写真を幻灯機で大きい紙に拡大し、写った画像を鉛筆でなぞり下書きを描く。 これは尾高さんの仕事で、何とも単調な仕事だ。 ベテランの絵描きさんは、下書きが描かれた紙に泥絵の具を使ってスターの顔を描く。
その過程はこうだ。
キャンバスとなる壁を、たっぷりと水を含ませた刷毛でなぞる。水を含ませた壁に、紙を水刷毛で貼り付ける。紙にも水刷毛で なぞり、水を含ませることから仕事が始まる。 絵の具箱には60個くらいの湯のみ茶碗があり、微妙に違う色が茶碗の数だけ入っている。 各絵描きさんは、大き目の皿をパレットとして使っていた。スターの顔は、まず明るめの肌色を皿の中で調合して、 大き目の平筆を使って塗り始める。 肌色でも明るい部分、暗い部分、そして中間の部分がある。それぞれの色を作り、大まかに塗っていく。 明るい部分と暗い部分の境界は、 片ぼかしという技術が使われる。 次第に顔の立体感が出来上がっていく。顔が出来上がるとが次は髪の毛、衣装と描き進められていく。
描き進むにしたがって 使う筆が太い筆から、次第に細い筆に変わっていく。絵の完成近しということになる。最後に肌や、 目の輝きなどのハイライトが施されると、 輝くようなスターの顔が完成する。
大きい顔の絵は、B1の紙を何枚も使うことになる。ベテランになると、驚くほど描くのが早い。 描いた絵は乾燥させるが、乾燥すると描いている時より、絵の具が明るく変化する。これは泥絵の具の特性だ。 絵描きさんは、乾燥した場合の色調を見越して彩色していく。

ベテランの絵描きさんは一日中キャンバスとなる壁に向かって、 忙しい時は、軽く10人を超える。描くスピードが実に早い。 映画看板の絵は言わばぬり絵ではあるが、その技術は結構奥が深い。描いた絵がスターの顔に似ているのは当然だが 描く人によって、絵のタッチや、味わいが微妙に違う。映画館に行って絵看板を見るだけで、誰が描いた絵なのか私はわかった。 作画部は6人の絵描きさんがいた。 西条さんの描く絵はタッチが荒く、アクションシーンが得意とした。実に迫力がある。上山さんはラブシーンが得意で、 特に女優の絵は匂うような美しい絵を描く。この二人は絵描きさんの存在は異彩をを放っていた。 この二人が絵を描いている現場にいくと、見事な筆さばきと色彩感覚についつい見とれてしまう。 この二人のベテランは一流の映画館の看板を担当していた。 その下の絵描きさんは二流の映画館を担当していた。そして、 絵のつけたしや、背景を描く絵描きさんもいた。このように序列が厳然としてあった。

作画部には徒弟制度がしっかりと残っていた。当時、それが何とも堅苦しく感じて、私はなじめなかった。 作画部に入ると、下書きを担当することになるだろう。一日中、暗室の中で幻灯機を使って下書きばかり。 それを思うと、作画部に入りたい、とは言えなかった。 作画部の人たちは、私が作画部に入りたいと言えば快く受け入れてくれた、というより 当然、作画部に入るだろうと期待していたらしい。しかし、絵を描くことは好きだったが、 私は暗室での下書きの仕事がナゼか嫌いだった。わがままだったのだろう。
優柔不断、我ながら煮え切らなかった。人手が欲しかった作画部で人材を募集した。 結局、沖縄出身の金城という人が採用され作画部に入ってきた。金城さんは体型がまん丸の明るい人だった。 絵のセンスも良く。めきめき上手くなる可能性を感じた。 これで私の作画部入りの口は完全に消えてしまった。私の中にちょっと複雑な気持ちが残った。 踏ん切りのつかなかった私は、結局そんなことが契機となって、製作部に入ることになった。


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