映画の時代 -33-




●西部劇「捜索者」の構図

西部劇映画「捜索者」は1956に製作されている。監督は巨匠ジョン・フォードである。 ジョン・ウェイン、ジェフリー・ハンター、ヴェラ・マイルズ、ナタリー・ウッドが出演 している。 この映画は、 ハリウッド100年を記念して選ばれたアメリカ映画ベスト作品の中で、 西部劇部門のベスト1に輝いた不朽の名作である。しかしながら、テーマが地味なのか 日本ではあまり話題にならなかった映画だったように思う。私はこの映画を観て、男の孤独な 生き様に共感した。心に染み入るような感動を覚え、強く印象に残っている。

南北戦争の3年後、イーサン・エドワーズ(ジョン・ウェイン)は放浪の末に兄の家に帰ってきた。 久しぶりの再会を喜ぶも束の間、 イーサンの留守中に兄一家はコマンチ族に襲われ虐殺されてしまい、末娘のデビーだけが殺されずに連れ去られていた。 イーサンはインディアンの混血青年 マーチン(ジェフリー・ハンター)とともに、 コマンチ追跡の果てしない捜索行に旅立つ……。といった設定で物語が展開していく。
この映画は一つの復讐劇である。これまでの西部劇といえば、観るとスカッとする、というのが相場だった。 ストーリーが単純でわかりやすい映画が日本人に受けていた。 この映画は一人の男の生き様を描いている作品で、どちらかと言えば暗い映画だ。 しかし、男のロマンを感じさせてくれ、胸に染みこむような感動を私に与えてくれた作品として、強く印象に残っている。
本作品で、フォードはかつての騎兵隊三部作で示したインディアンに対する理解を忘れたかのように、 インディアン憎しの一念にとりつかれた西部男を描き出した。そこには朝鮮戦争での追体験が少なからず影響を与えているようである。 現地で記録映画を撮りながら、最後まで屈服させることのできなかった敵の恐ろしさを知ったフォードの心境こそが、 この物語に暗い影を落としていると考えても不思議ではない。荒野にたたずむアウトサイダーに、フォードの横顔を見た。

絵を描く人の多くは、構図について意識して描く。写真好きな人もそうだ。当然プロのカメラマンは場面の構図には こだわりをもって事にあたる。構図には遠景と近景がある。 大川さんは「捜索者」という映画の場面転換の構図について私に話してくれた。それは、 「この映画の場面転換には、必ずアーチ状の構図から場面が進行していく。」というのだ。
たとえば、馬に乗って攻めてくるコマンチ族が荒野を走り、民家に迫ってくるシーンを想定しよう。 そのシーンを家の中にカメラを据えて撮影すると、遠景は荒野から手前に迫ってくるコマンチ族。 近景が家の中という構図になる。想像していただきたい。その場合、近景の入り口の画面はアーチ状になる。 近景が家の中だったり、樹木だったりするが、場面転換の最初のシーンがアーチ状の構図から始まっているというのだ。 近景と遠景には、手前側と向こう側という二つの関係において、ある種の緊張感を演出することができる。 また、両者の関係をダイナミックに、象徴的に、暗示的に表現する一服の絵の効果を果たす。 私も感銘を受けてこの映画を観ているが、正直に言って、そこまで意識して観ていなかった。

大川さんからその話を聞いて、 意外なことを言う人だと思った。そしてその後、もう一度映画館に足を運んで「捜索者」を観に行ってきた。そして 大川さんが私に何気なく話してくれた構図について、納得することができた。と同時に大川さんの眼力の確かさに脱帽した。 彼は作り手であるフォード監督のこだわりを、しっかりとキャッチしながら映画を鑑賞していた、ということである。 そのアンテナの性能の良さに舌を巻いた。 この映画の構図について、その後、他の人から聞いたことも、本で読んだこともない。
ところで「捜索者」のような映画を今作ったら、人種差別のレッテルを貼られ、問題となるに違いない。 そういえば最近の映画に、西部劇が極端に少なくなってしまったのは、何とも寂しい。


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