映画の時代 -27-



●ミラノ座の壁面覆った看板

さて、ミラノ座壁面に巨大看板を設営する話になるが、 日劇の大看板のように、 まず、 鳶職によって足場の組立てから作業が開始される。
あの大きいミラノ座の壁面を覆いかぶせるような、 巨大看板の取り付けには 鳶職人がいなかったら出来なかっただろう。 当時のミラノ座は、 今の建物と比べると何か威厳と風格があったように思う。 現在のミラノ座の壁面はフラットになっているが、 当時は 壁面にピラミット形の照明器具が何十灯も設置されていた。 それらの照明器具があったがために、当時のミラノ座が 威風堂々たる娯楽の殿堂、 といった雰囲気を醸し出していたのだろう。

ミラノ座に大型看板を取り付ける際に、壁面に突出しているこの照明器具が、いつもネックになっていた。 鳶職人の仕事になるが、足場を組み立てた後、 すべての照明器具を外し、 ロープでおろしていく、 という作業をしなければならなかった。 また、 ロードショーが終われば、 看板を撤去した後作業として、 外した照明器具を元に設置し復元しなければいけなかった。 非常に危険が伴う作業だった。
工務部の大工の棟梁が足場から足を踏み外して、 地面に落下し亡くなったということを新聞記事で知ったのは、 私がこの会社を辞めて2年ほど経った頃だった。 仕事一筋で真面目な親方だっただけに、 記事を読みながら複雑な思いがこみあげてきた。

ミラノ座の壁面いっぱいに取り付けられた看板は、 歌舞伎町のあの広場を圧するような迫力があった。 ミラノ座という映画館は70ミリ映画が似合っていた。 大勢の職人と一丸となって取り付けが作業が終り、 足場を外した後、 巨大看板を見上げると壮大な気分が味わえた。 看板制作に携わってきた大勢の職人さんたちも、 自分たちの作業の結果を 取り付けが終わった現場にきて、 全体像を初めて見ることができるのだ。 それまでの苦労が吹っ飛ぶような充実感、 生きている実感を共有できるのはこの瞬間である。

新宿ミラノ座の建物の壁面を覆い隠すような巨大な看板が掲げられたのも、 1960年代で終焉している。 残念ながら、 今はそんな巨大看板を見る楽しさはなくなってしまった。 映画看板を設置する掲示場所も、そのスペースも、 どんどん縮小されてきている。 街を歩いていると、 昔ながらの描き絵の絵看板もあるにはあるが、 非常に少なくなっている。 なんとも寂しいかぎりである。 多くの職人さんの技を生かす手描きの映画看板に替わって、 印刷されたポスターを貼る、 という看板が多くなってしまった。 絵描きも、文字描きも活躍の場が極端に狭くなっている。 これも時代の流れというものなのだろうか。
ITの時代と言われるが、 ITの時代というのは、 職人を排除していく時代ということなのだろうか。 徒弟制度も過去のものになったようだ。


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