映画の時代 -23-



●映画看板のある風景

歌舞伎町広場については前に書いたが、 その広場から新しい職場となる映画看板の会社まで。 歩いて8分位の至近距離だった。 途中に はナイトクラブ、 キャバレー、 トルコ風呂、 連れ込み旅館などがあり、 夜ともなると昼の表情とは一変する。 ネオンとイルミネーションが走り、生き物のような風俗の街に様変わりする。
この会社が扱っていた映画の看板の守備範囲は広く、 地元である歌舞伎町のおもだった映画館を始め、 新宿、 池袋、 丸の内、 銀座にある一流の映画館をクライアントとしていた。 恐らく東京にある映画看板を制作をしている会社の中で、 規模・技術という点で ランクは一番の会社だったと思っている。

フランス映画「雨のしのび逢い」という映画を観たのは、 銀座の「丸の内松竹」という映画館だった。 ジャンヌ・モローとジャン・ポール・ベルモンド が出ていた。 妖艶な雰囲気のジャンヌ・モローはこの映画で1960年カンヌ国際映画祭女優賞を 受賞している。 隣には「ピカデリー劇場」があった。 この映画を観たのは私が19歳の時で、映画看板の仕事をするようになる前である。 大きい映画館ではなかったが、 この映画館の看板の上手さに魅了され、 しばし見とれてしまった。 絵も文字も実に垢抜けていてる。 こんな看板を描く仕事をしてみたいと思ったものだ。 実はこの映画館の看板も、 この会社が制作していたことを入社して知った。

ここで映画館の看板が取り付けられる掲示場所について考えてみよう。 まず、 映画館の建物周りとしては、 建物の壁面、 軒下、 入口周り、そして、 場内の看板、 映画館によっては、 遠く離れたところからでも見える突き出し看板がある。 映画館と離れたところにも映画看板の掲示場所がある。 大勢の人の目に触れる場所だ。 例えば、 歩行者あるいは車を運転していても良く見えるビルの屋上や、 人が多く集まる場所だ。新宿駅東口には新宿の主な映画館の大きな映画看板が競うように 掲示していた。 また、 日比谷駅前にも大きな看板の掲示場所があった。 日比谷駅のホームから、 走っている電車の中からでも眼に飛び込んでくる。 これらの映画看板は屋外広告として十分な訴求力を持っていたし、 街を面白く 、 活性化する役割を果してきたと思う。 「いま何の映画が来ているんだろう」という映画好きな人々の 興味に、 見事に答えている掲示場所として情報発信をしていたのだ。 これらの掲示場所は、 私が働いていた映画看板の会社の守備範囲であった。 大きいスペースの掲示箇所では、 他の看板屋さんの看板とも競合して掲示していた。

1960年代は、映画作りをする側、そして映画を見る側も一種の熱を帯びていた。 と同時に映画看板を制作する側にも同じ様に熱を帯びていたように思う。 例えば、看板に迫力を出す手法に 「切り抜き」 という手法がある。 これは手間の懸かる作業になるのだが、映画の主人公の絵を切り抜いて看板に貼り付ける手法で、 看板から主人公が飛び出すような迫力、立体的な効果が生まれるのだ。 これは、という映画には大概この切り抜きの手法が使われていたものだ。


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