映画の時代 -21-

  映画大好き
 神戸大好き
「ローマの休日」illustration by 山中一夫

●歌舞伎町の銭湯

日本画の絵の具に膠は欠かせない。映画看板で使う泥絵の具でも全く同じで、 絵の具を定着させる定着剤の働きをしてくれる膠は、 なくてはならない必需品だ。 日本画の画家は、 絵を描く場合まず膠を解かし、 絵の具の粉末を皿やすり鉢に入れ、 溶かした膠を皿に注ぎながら練って絵の具を自分で作る。使う色の数だけ自分で作ることになる。 しかし、 一人の絵描きが使う絵の具と膠の分量は自ずと知れたもの。 映画看板の工場で使う絵の具や膠は分量は、 看板が大きいだけに一人の絵描きの比ではない。 絵描さん、 文字描きさんが使う、 全ての絵の具のネタと膠を絵の具担当が一人で作っていく。 かなりの体力がないと勤まらない。 仕事はきついが、やりがいがあった。 最初は膠の強烈な匂いにまいってしまう。
朝の仕事として、まず膠をつくることから始まる。 大きな鍋いっぱいの分量を作る のだが、 一日でそれは使いきってしまうのだからスゴイ。 膠には独特の匂いがある。 絵の具担当は一日中その匂いと付き合っていかなければならない。 しかし、 その匂いにも次第に慣れていき、 やがて気にならなくなっていった。 慣れというのは恐ろしいもので、 鼻が馬鹿になっていくのだろう。

午後になると看板の制作が佳境に入ってくる。 膠はまず、 絵の具担当の私が原色の絵の具を練る時に使うほか、 絵描きさん、 文字描きさんが、 各人が使う分を自分の缶に入れて持っていく。 絵の具も膠も、 どんどん消費されていく。 頃合いを見て朝のうちに作った原色の缶を点検し、 無くなりかけた色があったら、 同じ色の絵の具を作っていかなければならない。 絵の具担当が仕事をする場所は工場の中央。 映画看板が出来上がっていく 過程と、職人さんの仕事ぶりが非常によく見えるところにある。 きつい絵の具練りの仕事であるが、 仕事の合間にポッとしたアキ時間ができる、 そんな時は看板の制作過程を見学することができる。 職人さんの仕事は、実に上手く、 しかも早い。 どんどん仕上がっていく。 これを見ているのは何とも楽しい一時だ。 しかも、 描く看板の映画が毎日違うので飽きることがない。 絵描きさん、文字描きさんはそれぞれ担当する映画館が割当てられていて、 ベテランの職人は大きな映画館を担当していて、 新人の文字描きさんは 場末の映画館を担当している。 文字だけの看板もある。 絵の具担当と言っても常務部の一員として、映画看板の取り付けに駆り出される。 映画館の看板は、映画が終わる時間帯になるので、 夜10時とか11時になる。 取り付けから帰ると、 やっと自分の時間がとれる。

毎日、 思いっきり汗をかくので、 仕事が終わると風呂に入りたくなる。 工場には風呂がないので、同室の仲間達と街の風呂屋さんに行って一日の汗を流す。 歌舞伎町にも銭湯があった。 確か「歌舞伎湯」というお風呂屋さんだった。 このお風呂屋さんは遅くまで営業をやっていた。 12時ころに歌舞伎湯に入ると、 いわゆる風俗関係の人たちが入ってくる。 チンピラ、ホステス嬢、夜の蝶、 刺青をしているお兄さんたちも入ってくる。

歌舞伎湯の風呂に入っていた時だ。 私たちが入っている男湯に、 なんと二人の女性が入ってきたのにはビックリ仰天した。 前はタオルで隠しているものの、 二人とも胸の膨らみがチャンとあり、 体のしぐさは女性そのものではないか。 まだ若かった私には頭に血が上り、 胸がドッキンドッキンと高鳴った。 体を洗っている私の隣に座り、桶の湯を体にかけながら話をしている。 [何なんだ、この人たちは・・・?]と思いながら聞くとはなしに、 横目づかいに二人の会話に耳をそばだてる。 「あんた、どうだった?」 「どうもこうもないわよ。いけすかないヤツでさー」 などと会話している。 話している声はあきらかに男の声だ。 声を聞いて二人ともオカマということがわかった。
その当時、歌舞伎町にはオカマが堂々と街角に出没していて、 道行く男に声をかてくる。 風呂を上がってタオル片手に帰ってくる道すがら 「チョットお兄さん。 遊んでいかない?」 と声をかけてくる。 どんなに女に成りすましていても、 声だけはごまかしようがない。 明らかに男の声だ。その気は全くなかったが、 からかったりすると、 「なにー、この野郎ー!」とドスのきいた罵声が飛んできたりする。 歌舞伎町はやはり不夜城だった。 すべてが刺激的だった。


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