映画の時代 -11-



●転職の人生第一歩

高校を卒業すると、同じ就職先に内定した二人の卒業生と一緒に上京、社会の第一歩を踏み出した。 ここから私の転職の人生が始まることになる。 最初に私が就職した会社は、東京世田谷にあるプリント配線の基盤を製造している会社で、 従業員60人ほどの中小企業だった。
私は将来の進路について、明確な目標など持ち合わせていなかった。 小学生・中学生時代は授業中に先生に当てられて、教科書などを読まされると、声が震え顔が真っ赤になる。 大勢の人の前で話をすることを、最大の苦手とする内気な少年だった。 今は専門学校で大きな声で講義をしているが、 内気だった私の少年時代のことを学生たちに話しても信じてもらえない。 これにはチョット複雑な心境になってしまう。

少年時代から絵を描いたり、モノを作ったりするのが好きだった。高校時代は 美術部に所属しデッサン、水彩、油絵をよく描いていた。
一方、ラジオ少年で雑誌「初歩のラジオ」の愛読者でもあった。ラジオなどを自作するのが好きだった。 電気屋さんから真空管などの部品を買ってきて トランス、真空管のソケット、バリコンなどの部品をシャーシー(基盤)に取り付け、コンデンサー・抵抗などの部品を ハンダゴテで配線していく。こんな作業をしている時は夢中になってしまい、食事をすることも忘れる。 私にとってまさに至福の時だった。初めて作ったラジオは真空管3本使ったものだ。 やっと完成したラジオのスピーカーから放送が流れてきた時の感動は忘れられない。 5球スーパーなんて当時あこがれの機種だった。高校を卒業したら、 なるべく人と話しをしないですむ仕事。 工場などで 技術者として働くのが向いているのでは、と何となく自分としては考えていた。

現在、就職は超氷河期などと言われ企業が有利な買手市場になっていて、就職を希望する者にとっては。 非常に厳しい社会情勢の中にある。 私が就職した時代は全く逆の求人難の時代。売り手市場の時代で、中学卒・高校卒は「金の卵」といわれ、 企業に歓迎された。
私は就職活動については、さしたる苦労をせずして内定を勝ち取ることができた。 それは高校3年の10月ころだったと思う。 東京で会社を起こし、成功している新潟出身の会社の社長自ら、 わざわざ我が高校に来て会社の説明をしてくれることになった。 どこか威厳のあるその社長の話しは説得力があり、自信に満ちた社長の話に私は魅了された。 説明会が終わった後、この会社に就職したい学生に直接面接することになった。 「こんな会社に就職したい」と思った私は希望をして面接を受けた。 結果、すんなりと内定を受けることができたのである。


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