金属疲労の日本丸

2000年3月28日新潟日報夕刊に掲載したコラム【晴雨計】9回目



   昭和が終わり平成の時代に入って12年。平成不況の波は収まる気配なく、 日本丸はいささか金属疲労をきたしているようだ。 三条の少女監禁事件をきっかけに、警察という権力組織の信頼が地に落ちて、 キャリア組という人種への非難の声が巷に広がった。
 一方、キャリア組とは対極にこんな人種が蔓延している。 ガングロ・ヤマンバ・ボディピアス。ダラシナ・ケイタイ・ジベタリアン。 底厚靴・ミニスカ・茶髪のグラデ。電車の中では大股開きで手鏡とりだし化粧する。 ルージュ・マスカラ・メバリを入れて、周りを気にせぬ会話には、 ウソー? ホントー? にチョームカツクー!。ヘッドフォンからシャカシャカ音、 漏れても気にせぬ自分の世界。
 日本のどこにでも見られる昨今の若者の生態である。 当人たちは意識していないかも知れないが、周囲の顰蹙(ひんしゅく)を かっていることも事実。彼らを非難するのは容易である。 しかし若者社会は大人社会の鏡であり、このような若者の生態は 大人社会を否定している姿でもある。そう考えると何ともやりきれず、 寒々としたものを感じてしまう。
 現代の日本は羅針盤を失い、行き先も定まらない船のようである。日本はいつからどうしてこんな状態になってしまったのだろう。  誤解を恐れず言わしてもらえば、日本は歴史を捨ててきたからだと私は思う。1960年以降、日本は経済効率とモノの豊かさのみを追い求めるあまり、歴史から学ぶという真摯な姿勢を置き忘れてきてしまった。
 学校での歴史の時間は試験対策のための丸暗記重視に堕し、特に昭和の歴史、最も身近な戦後のそれは学期末になっていて時間切れ、結果おざなりな授業となっているのが実情。
 歴史から何を学ぶか、それは年号と出来事を暗記することではない。自分の生き方や、現在の暮らしと照らし合わせながら学習してこそ、先人たちの知恵や生き方も感動をもって学ぶことができる。21世紀がどんな世の中になるのか、過去の歴史に学ばなければ明るい展望は開けない。



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