「新潟の遺跡」の不可解

2000年3月21日新潟日報夕刊に掲載したコラム【晴雨計】8回目





「新潟の遺跡」先人からのメッセージ(2000年2月21日 初版第1刷発行)
著者:新潟県埋蔵文化調査事業団/発行所:新潟日報事業社
A5 版145頁 1、500円

県内最大規模の遺跡とされる奥三面遺跡群について、もっと詳しく知りたいと思っていた。そんなおり新聞広告に新刊本の広告がでていたので早速本屋に行って入手した。
財団法人 新潟県埋蔵文化財調査事業団が編纂し、新潟日報事業社発行の「新潟の遺跡」という本である。オールカラーで、これまでの新潟県の主な遺跡を豊富な写真・図解を使って見やすくまとめられている。 ところが、おめあての奥三面遺跡群について紹介した記事がない。
これには正直がっかりした。写真も図解もない、新潟県の地図に遺跡の位置を示している「主な遺跡の分布図」の図解がある。ここにも奥三面遺跡群が出ていない。これって一体どういうこと? これでは喩えは悪いが「横綱不在の相撲番付」に等しいではないか。いかにも不自然である。
私はインターネットで「奥三面バーチャル博物館」というホームページを探した。多くの画像を使ってわかりやすく紹介されていた。この遺跡の特徴を、@出土遺物の総数はコンテナで約5,500箱と県内最高。A磨製石斧が大量に生産されていた。B全国で初めて道路状遺構が確認された。C縄文後期後半〜晩期後半の集落構造がわかりやすい。と簡潔に紹介されていた。
青森の三内丸山遺跡に匹敵する奥三面遺跡群は、全国に向けて発信するに値する、新潟が誇るべき遺跡であることは間違いない。にもかかわらず、なぜ奥三面遺跡群を「新潟の遺跡」に載せなのかったのか不可解な謎である。 遺跡発掘に携わる専門家の苦労には頭が下がる。まして膨大な出土品が発掘された奥三面である。報告書が出るまでには大変な苦労と時間を要することであろう。
だがしかし、奥三面遺跡群の正式な報告が出ないにしても、何らかの方法で奥三面遺跡群を紹介できなかったものだろうか。青森の三内丸山遺跡、鳥取の妻木晩田山遺跡と比較すると、奥三面は遺跡発掘の発端から悲運がともなっている。私たちの子孫のためにも、保存への願いを捨てることは出来ない。



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