秘境・奥三面の里展

2000年2月8日新潟日報夕刊Nに掲載したコラム【晴雨計】2回目




奥三面集落。左は夏、右は冬の冬の全景。撮影:中俣正義氏
ご遺族のご厚意により使わせて頂きました。

昔から平家の落人部落の言い伝えがある秘境・奥三面集落に、私が初めて足を踏みいれたのは今から18年前のことである。その当時、東北電力は自主企画として本町のグリーンプラザで、春と秋の年2回のペースで企画展示を行っていた。当時私はイベント企画制作の小さな会社に勤めていて、東北電力の展示の企画提案、取材、会場設営の仕事に携わっていた。
それまで「山のくらし展」「海のくらし展」「越後の和紙展」「市と行商展」などの展示を手がけ3人〜4人のスタッフと共に舞台の黒子としての実績を重ねてきた。どちらかと言えば地味なテーマであるが、新潟県の先人の知恵と工夫を見直そうという高邁な意図をもった展示だった。これらの仕事は県内の僻地への取材が多く煩雑な仕事がともなう。特にオープンが近づくと忙殺される日々が続く厳しい仕事だった。が、展示のたびに一種の達成感が得られ、いろんな意味で自分自身の勉強になったという実感がある。
「秘境・奥三面の里展」は、この職場で手がけた最後の仕事になった。企画案が通り私たちスタッフは東北電力の担当者と一台のワゴン車に同乗し現地入りした。当時スーパー林道がなかったので山形県の小国から入るしかなく、集落に入る直前に清流・三面川の川底を車で駆け抜けて渡らなければならなかった。
一行が集落に入ると四二軒の民家がひっそり寄り添うような佇まいを見せていた。山々に囲まれた集落の景観は、ちょうどNHKの「日本昔ばなし」を思わせる。まさにここは桃源郷のようなところだと実感した。
区長の高橋宅に民泊して取材活動に入ったものの、村の人たちは寡黙でどこか冷たく、排他的な印象すら持ってしまった。今にして思えばそれも当然。取材に入った時期が、先祖代々続いてきた村がダム建設のために沈んでしまう、という深刻な問題を抱え日夜村人たちが会合を重ねていた、まさにその渦中だったのである。私はこの村が水没することになる計画は知ってはいた。しかしこの計画自体に割り切れない疑問を感じながらの取材となってしまった。


東北電力新潟支店グリーンプラザで開催された
「奥三面の里展」のオープニング



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