手塚治虫と昭和漫画史

2000年4月4日新潟日報夕刊に掲載したコラム【晴雨計】10回目



 漫画の神様は平成元年に逝った。言わずと知れた手塚治虫氏のことである。この年に昭和天皇、田河水泡、芥川也寸志、美空ひばり、高峰美枝子、松下幸之助がこの世を去っている。
 手塚治虫氏は昭和3年に生まれている。小学校に上がってからはひ弱なため級友からからかわれた泣き虫時代。多感な中学生の忌まわしい戦争時代の屈辱の日々を経て、そして終戦の日、生きる喜びにこれで漫画が描けると小躍りした時から40数年、手塚治虫は生涯15万枚の作品を残して、昭和という時代を駆け抜けて逝った。彼の業績そのものが「戦後の文化史」そのものと言っても過言ではない。手塚氏の生涯を検証していくことによって「昭和」という時代が見えてくる。
 私が勤めているデザインの専門学校で、プロの漫画家を育成する学科を立ち上げたのは今から三年前のことである。私は「漫画史」を担当することになった。プロの漫画家になるためには絵が上手いだけではダメ、豊富な雑学が必要である。映像作家でありシナリオライターであるから、社会の一場面を切り取る能力が要求される。藤子不二雄A氏の「まんが道」で手塚氏がそう指摘している。雑学の中でも「歴史への興味」はその背骨に相当するものだと私は考えている。ところが今の学生は歴史への興味が驚くほど薄いのも事実である。
 「漫画史」の講義を担当するにあたって、テキストとなる書籍を探したが適切なものが見当たらなかった。そこで私は集めた膨大な資料を編集して「手塚治虫と昭和漫画史」というテキスト用の原稿を作成した。理解し易いように、年代毎に手塚氏の作品の絵柄と共に、手塚氏の写真も数点挿入した。実はこれが難関だったのだが、印刷する前に著作権等の問題をクリアしておかなければならない。完成した原稿を手塚プロに送り、図版等の使用の許諾をお願いした。待つこと二ヶ月、あきらめかけていた許諾の返事をいただいた時は小躍りして喜んだ。



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